「素数の孤独」パオロ・ジョルダーノ


孤独を超えて

   La solitudine dei numeri primi – Paolo Giordano

 
 タイトルの「素数」という言葉を見て拒否反応がでるが、この本は数学ではなく、生きることがとても不器用な男女の姿を描いている。と言っても、ただの恋愛小説と括れないので、大学院に在学中の作者のバックグラウンドである物理学を軽く紹介する。

 数学と恋愛か、では頑張って読もう、と気合いを入れたのだが、本を開いてみると、非常にうまく、綺麗な文章が綴られている。次の展開が気になって、どんどん物語に引き込まれ、一気に読み進められてしまう小説である。

 孤独とは何か?単に、一人でいること、と大半の人が答えるかもしれない。しかし、そうとは限らないことをこの小説は語っている。
 マッティアとアリーチェは独りではない。二人とも、裕福な家庭で育っていて、両親にとても愛されている。マッティアはとても頭の良い男の子で、数学がかなりできる。アリーチェは想像力が豊かな女の子である。

 では、なぜこの二人が孤独を象徴することになるのか?

 誰もが、少しでもコンプレックスや過去の傷を持っている。しかし、ほとんどの人が、それをまるで何もなかったかのように忘れたふりをしたり、気づかないふりをしたりして、生きる術を身につけて行く。

 この小説に出てくるふたりには、このようなことが全くできない。
 幼い二人は、自分自身が選んだ道によって悲劇に遭った。なおかつ、マッティアもアリーチェもそのことが分かっている。自分達の選択した行動が悲劇につながったのを理解しているからこそ、深く、痛みを感じるのだ。

 素数は一つではなく、たくさんあるのだが、それぞれが孤立して他の素数との接触をしない。素数同士の中で最も距離が近いのが双子素数。いつも近くにいるけど、隣合うことはない。連続するふたつの素数の間には、必ずひとつの偶数が入っている。必ず間に「何か」が入っているのだ。双子素数に例えられた、アリーチェとマッティアはあやういバランスを保っているかも知れない。心を病んだ二人の主人公なのである。

 マッティアとアリーチェは幼い時に劇的な事件を経験した。二人がそれぞれ受けた悲劇が二人の人生に大きな影響を及ぼした。マッティアは「心」の悲劇を受けた。その、目で見えない心の痛みを自分の体に刻むことで、示している。つまり、「心」の痛みが「身体」の痛みへと繋がっているのだ。アリーチェの方は「身体」の悲劇を受けたことによって「心」の痛みに繋がり、その心の痛みがあることで、さらに自分自身で身体を苦しめていく。この傷付いた二人は、世界で唯一理解し合える相手なのだが、一緒に幸せになることはできない。なぜなら、自分自身の世界で精一杯だから。

 「変わる必要はあるのか」「変わらなくては」「やはり変われない」の繰り返しによる葛藤は、程度の差はあるが誰しもある。素数ほどに頑固でどうしようもない部分が誰にもあるが、「変わらなくては」という思いが、この二人の場合は個性の範疇を超越している。それでも変わらなくてもいいのだろうか。
 人生の様々な選択の答えは人から教えてもらうものではなく、自分自身で選び、進んでいくしかない。
 
 だが、読後感はなんだかすっきりしない、という感じはしない。

  簡単に話の結末を描くのではなく、あらゆる場面で複線のイメージを描くことで、読者自身で結末を導き出すように提示するスタイルの書き方である。

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